愛しておくれ

オレの中では別に陽キャだとか陰キャだとか友達が多いだとか少ないだとかってのはずっと気にしたことがなくて分け隔てなくいろんな人と接してきたつもり。だけどやっぱり中学、高校ってあがるにつれて徐々に陽キャ陰キャの線引きも分かるようになってきてしまった。

 

誰かがそうゆう制度を作ったわけでもないし、目に見えるものでもないのに薄らじゃなくハッキリ感じる。多分陽キャ陰キャって言葉が存在しなくても感じたんだろうなって思う。嫌だよな区別されるって。ホントに。自分が言われるのもやっぱし嫌だけど、「お前なんであんな陰キャとつるんでるん?」ってのが1番嫌だ。大体この質問をしてくるのは陽キャの分類の人だ。逆にオレからすればなんで陽キャ陰キャと絡まないし、陰キャ陽キャと絡まないもんだみたいな式ができてるのかがオレにはわからん。みんな気が合うやつと仲良くすればいいのにそういう目に見えないものを気にしてる奴らはバカだ。馬鹿。ばか。

 

なんかしたい話と違う方向に逸れたから戻すけどオレが言いたかったのはクソくだらん数だけの友達じゃなくて安心・安全の友達が欲しいということ。まあ、いわゆる親友ってことだ。実際オレに親友は何人かいる。(あっちが親友と思ってることは置いといてな…)

 

オレには「こいつは親友だ!」って感じる事があるラインみたいなものがある。それはオレの考え方が女々しいのか幼稚なのかは分からないけど「こいつに何かあってもどんなにめんどくさくても絶対助ける!」みたいな事をオレが思った時点でスイッチが入る。まあ、この時点であっちがオレのことどう思ってるかは全く関係ないな笑

でもいいんだよ。この瞬間がすごく嬉しい。絶対にオレの中で信用できる人になってるわけだから。信用できる友達ができた時の安心感は違う。でもたまには「たくさんの人に好かれたいな」と思うこともあるけど、やっぱりちょっと言い方としては重いけど、少なくてもいいから信用できてオレのことを心から好いてくれる、愛してくれる友達が居ればいいやって考えに戻ってくる。強がりとかそんなんじゃないけど友達なんて多くても人間関係めんどくせぇだけだ。中学・高校で痛いほど分かった。まあ、多いことには越したことはないとも思うけど。オレは少なくていいや。

大人になってからも親友と呼べる人を1人でも2人でも作れたらいいな。

そんなチンチクリンな事を今日の車校へ向かうバスの中でGOING STEADYの「愛しておくれ」を聴いて思ったらしいよ。(この曲自体は恋の曲だけどなっ!関係ないよな!受け取り方は人それぞれだもんなっ)