7月4.5.6のあなたと俺

人の少ない空港で一際目立つ格好で椅子に座っているのを見つけた所から始まった。発しようとしている声は震えるし、足も微かに震えてしまっていたのを覚えている。案外というよりやっぱり俺は小心者なんだなと実感した。

この3日間を通して楽しくなかった瞬間はなく常に楽しい、嬉しいという非日常が広がっていたことを終わってから感じる。5ヶ月ぶり2回目で戸惑う距離感、やたらと普段よりトイレが近い俺、何本吸っても味が分からないタバコ、こういった感情すらも愛おしくなってしまうほど俺はあなたが好きだし、恋をしているのだと思う。

 

 

せっかく来てくれたのに天候はあいにくの雨でどこにも行けないのに、それでも良いと言ってくれた。観光をしに来たわけじゃないと。俺は俺に自信がないし、自分に対してはっきりとしたことは言えない所がたくさんあるけど、この言葉を聞いて、俺はあなたに愛されてると自信を持って言えるし、俺も自信を持って愛してると言える。俺は相変わらずあなたのどこが好きか分からないが、何べん考えてもこれでいいと思ってる。ありふれた言葉になるが、俺はあなたの全てが好きです。

 

 

おそらく俺のために着てくれたであろうワンピースを可愛いと思った。いつでも、いつまでも繋いでいた手を愛しいと思った。冗談でこの手を忘れないと言ったが、今ではもう冗談かホントかは怪しいな。すぐにこのブログを書こうと思ったけど、感情的になりすぎて書けないから後にしようと今、書いているけどあんまし冷静には書けないな。この文章も果たして上手く伝わっているかは分からないけど、どうか伝わっていてほしいです。難しい表現、綺麗な文章ではなく、ストレートな表現、拙い文章でしか俺はあなたを表せないかもしれないけど、なるべく多くあなたを表したいと思うし、もっとあなたを知りたいと思っているので、また次もと言わずこれからもずっと会い続けよう。

最後に、遠距離恋愛という形に結果的になっているからもしかしたら辛いと感じさせてしまう事があるかもしれないけど、その時はいつでも俺に言って伝えて欲しい。この距離から俺に出来ることなんて限られているし、簡単には頼れないかもしれないけど、必ず不安にはさせない。会いたくなったらいつでも会いに行くし。俺にとってあなたはいつまでも1番の愛している人です。

3日間とても楽しかったです。楽しい日々をどうもありがとう!

2020の2.22と23

3回ぐらい書き直している。

 

 

ワンナイトスタンドは完全にお祭りのアレだった。みんながどんな感じで見ていたかなんて俺に分かるはずもないが、俺は約1年の集大成みたいな日だななんて思った。去年の今頃くらいから本格的にインディーズバンドが好きになっていて、その繋がりで友達も作れた。それが今日全部集まってる。これ以上幸せなことはないんだろうな。好きなバンドのライブに行って好きな友達が居て、笑って過ごす。バンドが好きで良かったなんて定型文、今回だけでも使わせてくれ。俺は音楽が好きだ。会場に入ってすぐ俺を見つけて、嬉しそうな顔してすごい勢いでバレタイン渡してくれてありがとう。そういうとこホントに好き。ありがとうカナ。

 

そんなこんな幸せな気分でQUATTROを出た。もこの友達が俺達をご飯に誘ってくれた。正直、PK企画のライブで1度話したぐらいだしSNSでも繋がってない人なのに快く受け入れてくれてご飯までご馳走してもらった。きっといい人なんだと思う。俺には到底真似できない。あと本人がどういうホントの気持ちでいたか分からないけど俺に付き合って着いてきてくれたならありがとう。辛かったならごめんね。

 

そのあとはもことカナと別れて、カラオケに入った。下手くそな歌を聴いてくれてありがとう。女の子の声っていいなって思った。上手いし。チャットモンチーがやっぱり良かったなー。俺なんかより全然疲れていて眠いはずなのに起こしてくれてありがとう。眠る気なんてなかったのにいつの間にか安心して眠ってたな。

 

計画性なんて俺たち(少なくとも俺には)になくて駅のホームの各駅の名前を見てどこ行く?なんて言って考えた。吉祥寺に決まった。まだ外は真っ暗だった。

気づいたら何故か井の頭公園で降りていた。andymori小山田壮平の影響だな完全に。逆に2人とも小山田壮平を好きじゃなかったら、小山田壮平がここで曲を作ってくれなかったら行くことなんてなかったんだから感謝したい。

おでんを食べる。日が昇り始める。まだ全然歩いてもいないのにいい所だなーなんて言い合う。序盤の分かれ道。歩き始めてもやっぱりいい所だなーなんて言う。ラジオ体操しているおじいゃん、おばあちゃん。とりあえずでけー家々。なんかよくわからんが鳥。梅の花。有り得んぐらいに広がる綺麗な景色。そりゃ曲の1つや2つ書くなって2人とも思った。

左に曲がって気がつくと吉祥寺。ゴミ箱を延々と探して吉祥寺駅に入る。方向音痴が2人も揃うとこうも辿り着けないのかってぐらい駅の中周りまくってたのを思い出して、書いてる途中笑ってしまった。

 

 

 

高円寺にはホントにこの日お世話になった。駅の周りを何周したか覚えていないぐらいめぐりに巡った。なんとなくこの日は秘密だな。ありすぎて書いてたらこのブログの終着点が見えなくなりそう。ほのぼのとした日だった。想像に任せる。

 

 

はるちゃんは大事な友達の一人だ。正直、まあみんなそうなんだけれどここまで仲良くなれるなんて思ってなかった。言ったか言ってなかったか忘れたけど俺が仲良くしたいなーって思ってフォローした気がする。仲良くなれて良かった。はるちゃんは俺が持っていないものを持っていすぎる。感じ方、伝え方が綺麗というか好き。具体的な部分は俺の持ち合わせている語彙力からは伝えられないけど、毎回いいなぁ〜って感じることがほとんどだ。

良い奴だからこそ俺なんかと仲良くしてくれてありがとうなんて感情も持っちゃうし、そうじゃないよって言ってくれるのも分かってるからあえて最近は口に出さないようにしてる。改めて仲良くしてくれてありがとう。俺の支え?っていう表現が適切か分からないけど力になっています。はるちゃん居ない世界じゃ生きられなくもなってると思います。ちょっと重いかな?笑

はるちゃんは俺のことを肯定してくれる割にははるちゃん自身の肯定力がすごく弱いと思う。みんな自己肯定感ってのは基本弱くできているものだから分かるけど、はるちゃんだけは絶対にもう少しだけ自信を持っていいと思う。常に相手のことを思いやれてるし、褒めることも出来る。そんな友達、俺の中には数を数えるぐらいしかいないよ。母数が少ないせいもあるんだろうけど。もし、自己肯定感が弱くなってきたら俺を思い出して使って欲しい。そういうことでしか日頃の感謝の気持ちを伝えられないから俺は。あともう少しワガママや手を抜いていいから俺の前では。もうそうしてるのかもしれないけど。

 

 

 

普段、面と向かって言ってあげれればいいんだろうけど、不器用な俺はこういう形でしか言えないから書いてるけどそろそろこの場でも恥ずかしさが増してきたからやめる。

とにかくずっと友達でいよう俺たちは。悲しいことを言うことになるかもしれないけど、きっと距離の問題や環境の問題でいつかこの友達の関係は終わりというか薄れていくことを迎える日が来るんだろうと思ってる。分からない。俺は大人になった事がないし、歳もまだ19でしかない。それでもお互い忙しくなればそうなる可能性というのが嫌でもでてくると思うし、ないのかもしれない。とにかく分からない。こんな未来の話。それでも今はずっと親友という形でずっと在り続けたい。俺からのワガママです。叶えてください。

 

 

 

ホントにありがとうの思いで一杯です。ありがとう。ありがとう。またね。

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オトナ

やるせないことの数が増えてくるとどうにも自分の気持ちを言葉にしたくなってくるので書きます。夜のお供になれれば幸いです。

 

 

 

高校生の頃はとか言いたくないんですけどソレでしか表現できないので使いますが、高校生の頃はもう少し何かに希望を持って生きてました。じゃあ今は持ってないのかと言われるとまた困るんですけどもだいぶ薄れてきたのは確かです。

小さい時から音楽や小説の表現方法が好きでこの人はこんなこと考えてたんだとか、この状況でこういう表現も出来るんだとか自分にはできない表現をするオトナが多くいて凄いなーと思ってたんです。

だけど今じゃなんというか音楽の歌詞でも共感とはまた違った意味で共感というか、こういう時はこういう考えするよね、わかるわかるとか、こういうこと思う時あるよね、俺もそう思う、とか思うわけですよ。まあそれが他の人からしたら今の自分のこの感情を自分通りに表現してくれてて好き!って感じるかたもいるんでしょうけど、俺はなんか切ないというかちょっぴり寂しいんですよ。

 

 

 

この状況でこの感情になった時こういう表現の仕方、言葉があるんだっていう新しいもの欲しくないですか?

だって今、自分より歳上の人が書いた歌詞、小説が身に染みるというか、同じだ!ってなるのってなんだかこれ以上先の感情がないみたいで悲しいくないですか?俺はこの先ももっと成長したいし、新しいものを見続けたいのにそれが20.30.40.の人と同じこと、同じ考えなんて訳わかんない訳ですよ。子供から徐々にオトナになろうとしてる自分には。

 

歳を重ねれば見方が変わってくるなんて言いますけど根本は変えられないんですかね。結局考え方は無限とか嘘なんですかね。

よく女の子が永遠の18とか言うのは丸っきり嘘ではなくてホントで、18からあまり表現方法だったり考え方、伝え方なんて変わらないからなんですかね。

 

 

多分これを見て、もしかしているかもしれない先のオトナ達はきっと微笑んでみてるかもしれないんですけど、ホントにホントにそう思ってるんですよね。

同い年の大学生を見て、子供っぽいなーとか前までの俺なら絶対思わなかったのに思ってしまって、考え方に上下?(ニュアンスが微妙に違うかも)があって少なくとも俺はそいつらより先を見てしまってたり、じいちゃんの三回忌でお坊さんが言ってた考え方みたいなことを母さんやばあちゃん達に俺が分かりやすく解説できるようになってしまったことは間違いなく本物で決してなんとなくとかでは思ってないんですよ。

 

そんなことを昨日の夜、ふと思ったので書きました。どれくらいの人に俺のこの感じが伝わったかは分からないけど伝わっては欲しいです。多分この事に答えなんてないんだろうけど成長して生き続けたいので俺はもっと先が見えるよう生きたいっすってな感じです。

つまらんものを見せてしまって申し訳ないです。勉強するための夜更かしなんだけどなー。

愛しておくれ

オレの中では別に陽キャだとか陰キャだとか友達が多いだとか少ないだとかってのはずっと気にしたことがなくて分け隔てなくいろんな人と接してきたつもり。だけどやっぱり中学、高校ってあがるにつれて徐々に陽キャ陰キャの線引きも分かるようになってきてしまった。

 

誰かがそうゆう制度を作ったわけでもないし、目に見えるものでもないのに薄らじゃなくハッキリ感じる。多分陽キャ陰キャって言葉が存在しなくても感じたんだろうなって思う。嫌だよな区別されるって。ホントに。自分が言われるのもやっぱし嫌だけど、「お前なんであんな陰キャとつるんでるん?」ってのが1番嫌だ。大体この質問をしてくるのは陽キャの分類の人だ。逆にオレからすればなんで陽キャ陰キャと絡まないし、陰キャ陽キャと絡まないもんだみたいな式ができてるのかがオレにはわからん。みんな気が合うやつと仲良くすればいいのにそういう目に見えないものを気にしてる奴らはバカだ。馬鹿。ばか。

 

なんかしたい話と違う方向に逸れたから戻すけどオレが言いたかったのはクソくだらん数だけの友達じゃなくて安心・安全の友達が欲しいということ。まあ、いわゆる親友ってことだ。実際オレに親友は何人かいる。(あっちが親友と思ってることは置いといてな…)

 

オレには「こいつは親友だ!」って感じる事があるラインみたいなものがある。それはオレの考え方が女々しいのか幼稚なのかは分からないけど「こいつに何かあってもどんなにめんどくさくても絶対助ける!」みたいな事をオレが思った時点でスイッチが入る。まあ、この時点であっちがオレのことどう思ってるかは全く関係ないな笑

でもいいんだよ。この瞬間がすごく嬉しい。絶対にオレの中で信用できる人になってるわけだから。信用できる友達ができた時の安心感は違う。でもたまには「たくさんの人に好かれたいな」と思うこともあるけど、やっぱりちょっと言い方としては重いけど、少なくてもいいから信用できてオレのことを心から好いてくれる、愛してくれる友達が居ればいいやって考えに戻ってくる。強がりとかそんなんじゃないけど友達なんて多くても人間関係めんどくせぇだけだ。中学・高校で痛いほど分かった。まあ、多いことには越したことはないとも思うけど。オレは少なくていいや。

大人になってからも親友と呼べる人を1人でも2人でも作れたらいいな。

そんなチンチクリンな事を今日の車校へ向かうバスの中でGOING STEADYの「愛しておくれ」を聴いて思ったらしいよ。(この曲自体は恋の曲だけどなっ!関係ないよな!受け取り方は人それぞれだもんなっ)

 

 

幸せ度

たまに考えるので書いてみました。訳の分からない事を言ってるかもしれないけど温かい目で見てください🙇‍♂️

 

 

まず、人の幸せ度について考える…なんてことがみんなにあるのかどうかは知らないけどオレはたまに考える。そもそも幸せ度っていうのは、「最近幸せだなー」って感じることの出来るライン?みたいなもののこと(勝手にオレが作った)。オレがこの事について考えるときはだいたい「最近おもしろくねーー」って思うときだ。

まずなんで面白くないか考える。毎回う〜んってなる。でも最近は「面白くない=刺激がない」って感じるようになってきた。これはほぼ正解だと思ってる。面白いと感じるときは普段の生活では中々起きないときに思うことが多いと思うからオレたちは「刺激」っていうスパイスを得ると「面白い」と思うんじゃね?って思った。

 

面白いって感じるようになるには刺激がいると分かった。じゃあ次は刺激はどうやったら手に入れるかを考える。手っ取り早く思いつくのは、「友達とどこかに遊びに行く」「好きなバンドのライブに行く」「好きなCDを買って聴く」…な感じだと思う。じゃあ意外と簡単じゃんって思うかもしれないけどここから人間の最悪な所がでる。

人間は面白いこと、いわるゆ刺激を何回も繰り返すとその刺激を刺激と感じなくなってしまう。例えば、好きなバンドのライブに初めて行ったときと100何回目じゃだいぶ感じ方が違うと思う。いやいや100何回行っても最初と変わらないわ!って人はマジキツイ(たまにイキってるやついるけどウザイ)。まあそうゆう人はそもそも幸せ度についてなんか考えてないからどーでもいいんだけど。

ちょっと愚痴っぽくなったけど、何が言いたかったかと言うとオレたち人間はどんどん刺激のハードルが上がっていってしまうということ。

 

それともう1つ刺激のハードルを上げるものがある。それは、人と比べることだ。別に人と比べなくてもいいはずなのにどーしても自分の生活と他人の生活を比べてしまう。「あの人はあんな生活してるのにオレはこんなかよ…」って思った時点で負けだ。でも負ける。弱いから。またこれをよりリアルにしてるのはSNSだと思う。Twitterとかインスタを見てると意識せずとも自然に人との生活を比べてしまう。オレの母さんはそれがウザくてツイッター見るのやめたって言ってたしそれもアリだなって最近は思うようになった(絶対やめないと思うけどオレは)。

 

この2つを無くせれば刺激が手に入って「最近おもしくねぇー」なんて考えずに済むんだけど今のところオレは無理なんじゃないかと思ってる。まず1つ目のやつは面白いことしたいって思ったら自然と回数も増えるわけだし数を減らすことは出来ないから無理。ただ自分の気持ちの持ちよう次第で変えることはできるんじゃないかなとも思う。2つ目のやつは全く人と比べなくするには人と関わらなくすればいいけどそんなのは生きていく上ではできないから無理。だけどSNSとかを見るのを控えれば少しはマシになるんじゃないかなって思う。

 

だからとりあえず今のところオレはあんまりTwitterとかを見ないようにして自分の中の幸せの基準を下げるようにしてる。とりあえずTwitterはマジで良くない。「あの人あんなにライブ行ってるのにオレ全然行けてないやん」とかマジで心病む。こうゆうこと思ってるのオレだけなんかな〜嫌だな〜。

甲本ヒロトも言ってたけど「幸せを手に入れるんじゃなくて、幸せを感じれる心を手に入れるんだ」みたいな事言ってたの今はめちゃくちゃ心に響く。こうゆうことなんだなって。

 

ほんとは結論をだして「こうすればずっと人生面白いよ!幸せだよ!」ってみんなをスッキリさせてあげたいんだけどまだオレの中で答えがでてないからなんともいえないんだよな。なんなら誰か教えて〜って感じだな。別に「面白い」と思うことが人の幸せについての全てではないと思うし否定されても文句はいえないんだけど、オレの中ではこうゆうことが幸せに直結してると思うからいつかは答えをだせたらなって思う。いやてか出したい。こんな事でいちいち考えるのマジでだるい。あーもっと楽に生きてぇなー。クソ。クソ。クソ。

 

https://youtu.be/6tQG3VDH_BI

くそったれの世界/the birthday

ヤキニク

 

 

 

父さんとご飯に行く。これはめちゃくちゃ普通の事に思うかもしれないけどオレにとっては当たり前の事じゃない。

逆に10年間ぐらいオレにとっては父さんがいないが当たり前になってたから「父さんとご飯に行く」は不思議な感じ。

 

実際に会ってみるとあたかも今まで当たり前に一緒に生活してたとまでは言わないけど、普通に会話できるからなんかやっぱ親子感が出た。会話の内容は最近の学校の感じとか就職先とかそんな身の回りの話。2時間ぐらい喋ってた。その後テキトーな珈琲店に入って父さんが経営してる会社の話を聞いた。オレはまだ働いたことも無いし社会のことなんかなんにも分かんねーけどいろいろ教えてくれた。

今日のことは普通の人からしたら何気ない1日かも知れないけどオレからすれば「父さんとご飯を食べた日」っていう名前が付く日。

 

なんかスゲー父さんの事を上にあげるような書き方してるけど父さんがした事は悪ぃ事だし良くは思ってないんだけど、母さんには悪いけどオレは直接見たりしてないし関わってないから結局父さんは父さん。これは同じ様な環境の人じゃないと分からないと思う。もう父さんは父さんなんだ。誰がなんと言おうと。

 

 

多分、親子ってゆうのはどれだけ時間が空いても元通りって訳じゃないけど上手いことできてるんだと思う。それこそ切っても切れない縁じゃないけど並々ならぬもので繋がってると思う。父さんにしろ母さんにしろ、話を聞いてると「あぁオレもそうゆう性格してるわ」ってなるし「この人の子どもなんだなオレ」ってなる。勿論、全部が全部一緒なわけじゃないと思うけどそうゆう時に親子なんだと実感する。

 

 

 

最近は全然思わなくなってきてたんだけど、こうゆう出来事があるとついつい「また4人でご飯とか食べに行きたいな」って思う。でも無理。そんな事は分かってるんだけど考える。これが意外とつらいんだよなぁ。。。

こんな時には自分の好きなCDをテキトーにかけてテキトーに聴く。別にこれで何かが解決する訳でもないんだけど聴く。聴く。聴く……

https://youtu.be/o2R9oVqOksA

(チェインギャング/THE BLUE HEARTS )

 

 

っていうなんか暗めの感じになっちゃったけど父さんとヤキニク行ったよっていうブログでした。👋🏼